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「秩父事件の足跡」を巡る
2014 12 -24 記 小倉 洋一


■実施日 2014.12.18(木) ■参加者 31名  ■場 所 秩父市、小鹿野町

秩父事件は今から130年前の明治17年(1884)深刻な不況と生糸の暴落、そして高利貸の暴利によって困窮した秩父地方の1万人を超える農民たちが蜂起した事件です。今回は事件の足跡の一部をバスにて巡ります。

小手指駅南口7時50分集合、参加者は31名8時に今日の目的地である秩父目指し出発。飯能までは通勤の渋滞に入るも最初の休憩地である道の駅「あしがくぼ」まで行程表の時間通りに到着。ここで、本日事件の関係先をご案内いただく郷土史を研究している秩父在住の飯塚孝雄氏が乗車。

いよいよ秩父事件の足跡を巡ります。最初は羊山公園の高台にある秩父事件追念碑(尾崎咢堂翁額字)で眼下には秩父市街地が一望です。落合寅市の四男・九二緒氏が発起人となり、秩父地域で活躍する人々に働きかけ昭和40年に記念碑が建立された。父の遺志での顕彰碑であり、本来であれば吉田の椋神社境内に建てたい希望であったが事件から80年経過しても氏子の反対にあって、この地に建てられたという伝説がある。

次の見学場所である石間交流学習館(秩父事件資料室)までの約25qは、道中の秩父神社、井上伝蔵を匿った斎藤新左エ門家、落合寅市墓・生家、加藤織平生家・墓、諏訪神社、等事件に深く関与した先を飯塚氏の説明により、車中での見学となった。

石間交流学習館は吉田地区の廃校を利用した資料館で秩父事件に関する資料が多数展示され、ビデオによる事件の概要を知ることが出来る。

秩父には椋神社が六社あり、この吉田の椋神社が一番大きく、明治17年11月1日、三千余名にも及ぶ農民達が集結。五ヶ条の軍律を徹底し小鹿野町・大宮郷(現在の秩父市)へ向け一斉に蜂起した拠点である。

井上伝蔵の屋敷跡は椋神社の近くにあり伝蔵と当時の屋敷の写真が残るのみである。丸井の屋号で絹などを商っていたころは耕地きっての豪農であったことが窺える。事件直後から行方をくらまし死刑を言いわたされるも北海道へ逃亡、名を変えて一生を送る。映画「草の乱」では井上伝蔵を主人公にした養蚕農民の武装蜂起を描いている。

音楽寺(秩父札所二十三番)は吉田の椋神社に集まった農民が小鹿坂峠を越えて境内に集結。梵鐘を乱打して大宮郷の高利貸しや要求を聞き入れなかった郡役所、警察になだれ込んだ拠点でもある。境内に困民党決起100年を記念して、昭和53年「秩父困民党無名戦士の墓」が建てられた。碑には「われら秩父困民党、暴徒と呼ばれ暴動といわれることを拒否しない」と書かれている。

秩父事件の足跡としては、芝桜で有名な羊山公園、札所での三十四観音霊場、椋神社には例大祭で奉納する神事としての龍勢(手作りロケット)祭りがあり、何れも観光地化されて四季折々の風景をたのしむ憩の場となっている。歴史の中の一ページではあるが改革の名のもと奥深い悲惨な事件が数多くあり今回の秩父事件への興味もまだまだ尽きない。


  
羊山公園に建立された秩父事件追念碑   三千余名の農民たちが集結した椋神社 


  
龍勢会館に隣接して復元された井上伝蔵邸   音楽寺の梵鐘を打ち鳴らし郡役所になだれ込む 





「秩父事件の足跡」を巡る